Lordの日記

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ビタミンと本

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 微量しか必要とされないのに、不足すると正常な代謝ができなくなり欠乏症をひきおこすのが『ビタミン』です。世間の健康志向が強い昨今、そういったものに無頓着な私でさえ、あまりに頻繁に目や耳にするものですから、「大人一日当りの必要量はAで0.6~0.8mg、Bで0.5~1.0mg、Cで75mg・・・」と正しいのかどうかも判らぬまま覚えてしまった数字があります。必要量を知っていてもそれを意識して摂取している訳ではないので、覚えている意味はなさそうです。
 『ビタミン』という言葉を聞くだけで元気が出そうな気がするのは、単なる条件反射です。ポーランド人の生化学者フンクが、生命(vita)のアミン(amine、化学の授業で出てきた有機塩基のあれです)から命名したそうで、元気とは関係ありません。生体内では合成不可能だそうで、体内では代謝に関係する酵素の補欠分子や補酵素の構成成分として存在するため、微量しか必要とされないそうです。健康に無頓着でも、「微量でいいけど、足りないとだめ」というビタミンの存在形態には、生命の神秘と脆さを感じます。
 2010年は『国民読書年』だそうです。先週の衆議院本会議における決議文を見ると、我が国では「活字離れ」が進み、年齢を問わず読書への興味が薄れ、これが言語力、読解力の衰退や精神文明の変質の大きな要因の一つとなりつつあるとのことです。活字中毒の私が本ばかり読んでいる間に、この国は大変な事になっていたようで・・・。「活字離れ」の活字とは書籍を指しているのでしょうか。単に活字という事でしたら、今は昔以上に活字が溢れ、目にする機会は増えています。
 メディアや表現方法などが多様化した現在と、どの時代のどの時期を比較しているのでしょうか。みんな限られた時間を生きているのですから、必要性や楽しさを感じなければ興味は持ちません。読書への興味が薄れたのならそれは送り手の問題です。本来教育の問題である言語力や読解力の衰退が本当にあるのかはさて置き、読書量とそれらの関係が二次的なものであることは明らかで、この日記を読んで下さっている皆さんは痛感されていることと思います(読み難くてごめんなさい)。
 私は楽しくてワクワクするから本を読みます。ページを捲るごとに広がる新しい世界に感動し、さらなる出会いを求めて前へと進みます。学術書や論文から文学・写真集・マンガと、このワクワク感にジャンルは関係ありません。かつては本や雑誌でしか楽しめなかった世界を、今は様々な形で体験できます。昔雑誌でしか知る事のなかった欧州のサッカーの試合を、今はTVでリアルタイムで観る事が出来ます。スタジアムに行けば、そこに選手がいます。私は迷わず活字や書を捨て、TVの前に座りスタジアムに足を運びます。
 「フーリガンは何故暴れるんだろう?」と疑問が出たら、さっき捨てた本を拾います。本を100冊読んでるだけではピアノは弾けませんし、1000冊読んだからといって飛行機は飛ばせません。10000冊読んでも悩みが解決したり感動できるとは限りません。読みたい時に読みたい本を手に取ればよいと思います。精神文明の変質が具体的に何を言わんとしているかは定かではありませんが、変化はあって当然だと思います。私にとっては本はビタミンのようなものですが、依存症や中毒はいけないと考えています。
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