Lordの日記

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実践

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 国家主権の考え方がまだ存在せぬ時代(1651年)に『リヴァイアサン』を書いたホッブスは、同時代にあっては無神論者と非難され不遇であったそうです。同書の後半部分は、ローマ教会が国家より上位の権威でないことの実に詳細な証明にあてられています。記憶が正しければ学生時代に友人の三分の一は、この後半部分で本を投げ出していました。後半は読む必要は無いと指導?する、先輩もいたように覚えています。
 同世代の方だと、最後まで読んだ私が偉かった訳では無い事にお気付きかと思います。入学と同時に配布された資料には、基礎知識あるいは教養として読んでおくべき必読書の分厚いリストが添付されていました。今とは違い娯楽の少ない時代ですから、お金も無く合コンなどへのお誘いの声もかからない私のような冴えない学生は、図書館に籠り本を読むのも楽しみの一つでした。情報に疎く要領の悪い私は、リストの上から順に読むという、まるで修行のような愚かな旅に出ました。
 リストに延々並ぶ書籍は、古典・名著として今現在も読み継がれているものばかりです。難解でじっくり読んでも簡単に理解など出来るはずも無く、立ち止まっていると前へ進みません。疑問点をノートに書き出し先へ進むのですが、そのうち読んだ本よりノートの方が分厚くなっているのに気付き愕然としました。今自分の基礎知識・教養のレベルから鑑みて、この難行苦行はあまり役に立っていないようですが、それは総て私自身に問題があるのであって、リストや書籍のせいでない事は言うまでもありません。
 アダム・スミスが『諸国民の富』を書いたとき、経済学はまだ存在しませんでした。ホッブスは哲学者でアダム・スミスは道徳哲学を教えていました。社会の原則や哲学をとことんまで考え抜き、目の前にある困難を解明し解決する、これは知識ではなく実践です。社会において事象が、ある専門や知識の範囲内だけで起こることはありえないと考えます。リカルド、マルクス、ソシュール、フロイト、ウェーバー、ケインズetc.修行の旅はしばらく続きましたが、ふと気付くと私の旅は、専門を超えて社会をまるごと引き受けようとする勇気とロマンに酔いしれる冒険の旅へと変っていました。
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